• Story #8 Aloha Birdie ハワイでもバーディー・ファンは多い。

    Posted:Oct 05 2015

    Birdwellの

    ビーチトランクスの話

    by Rin Tanaka

     

      夏が終わらないで欲しい…….。カリフォルニアに住んでいて良かった思うことは9月に入っても暑い日が続き、9月下旬まで夏っぽい気候が続くことです。日本は8月のお盆を過ぎると急に季節が変わってしまうので、カリフォルニアの少し長い夏は本当に貴重です。

     それでも、カリフォルニアにも間もなく秋と冬が訪れます。「もっと夏を満喫したい!」——そんなことを考えるカリフォルニアのビーチボーイズたちが向かう先はご存知、ハワイです。言うまでもなく、ハワイ好きは日本人だけではありません。アメリカ本土に暮らす人たちにとっても、ハワイは憧れの場所です。僕も全米中のいろいろな町を旅しましたが、「ハワイは別格!」と断言できるほど素晴らしい島々です。 

     1961年にカリフォルニアでスタートした<バードウェル>にも、ハワイから多くのオーダーが多く入ってきました。特にライフガード・チームからの需要が多いようで、さらにカヌーチームなどからもニーズがあります。ハワイは人々が密接に水と暮らしている場所なので、<バードウェル>のトランクス1枚でほぼオールシーズンをカバーできるのが最高ですね。

     気になるのは、地元ハワイには<バードウェル>のようなサーフトランクス・ブランドが存在しないのか、ということでしょう。実は大昔のハワイには日系&中国系オーナーが経営する縫製工場が数多く存在していました。しかし1980年代あたりからそれらの縫製工場がほぼ消滅し、ハワイでもアジア産の水着が多く見かけるようになりました。それゆえに、カリフォルニアでカスタムオーダーを受け付けてくれる<バードウェル>にオーダーしたほうが早くて確実というわけで、<バードウェル>はハワイでも結構人気の高いブランドなんです。

     ハワイのライフガードは赤いユニフォームのカリフォルニアと違って、緑色を採用しているケースが多いようです。そうです、ハワイは自然豊かな場所なので、緑色はイメージ的にもバッチリ。ワイキキを歩いていると、きっと<バードウェル>の緑色のトランクスに遭遇するでしょう。ぜひチェックしてみてください。

     夏が終わらないで欲しい…….年に一度必ずそんな切ない気分を体験しながら、人間は歳を取っていきます。実は一般的な平均寿命の人生だったとしても、一生のうちに僅か80回前後の夏しか体験できないのです。それってちょっと少なくありませんか?! しかしそんなことを考える暇があったら、<バードウェル>のトランクスを持って、海へ向かいましょう。海には不思議と人の気持ちをワクワクさせるパワーがあって、そこには楽しい出来事が多く待ち受けているはずです。

    (来年の夏に続く)

     

    オワフ島のラニカイビーチから送られてきた写真より。今から25年前の1989年に撮影されたそうですが、あまり古く感じないのはハワイには「変わらない夏」があるからかもしれません。地元カヌーチームのメンバーが着ているのは<バードウェル>のトランクスで、しかも色がグリーンという点がハワイのスタイルです。パームツリーの色とも同調し、ばっちり似合っていますね。


    こちらは隣の写真に同封されていた『ラニカイ・カノエ・クラブ』からのお礼状。1989年当時はまだ2代目社長のヴィヴィアン(当時69歳)が現役で働いていました。彼女宛に「グリーンの<バードウェル>は他のチームとは違って、最高に目立っていた!」と書かれています。


    1995年4月19日に発行された『Palm Beach Post』の記事では、地元水族館『シーワールド』のスタッフが川に迷い込んだイルカを救出している様子が報道されています。彼らがユニフォームにしているトランクスも<バードウェル>製で、鮮やかなロイヤルブルーが『シーワールド』のオフィシャルカラーのようです。

     

     赤のチェッカー模様が入ったこのトランクスは「Made in U.S.A.」のレーベルが付いているので、1980年代製でしょう。バードウェルが得意とするのは手の込んだカスタムオーダーで、こういったポップなデザインを手がけると実に最高ですね。

  • Story #7 International Orders 海外からもバーディー・ファンが殺到した!

    Posted:Sep 24 2015

    Birdwell

    ビーチトランクスの話

    by Rin Tanaka 

     「日本の売り上げは、全体の2割くらいかなぁ」——かつて日本の雑誌のためにアメリカの様々なメーカーやブランドをインタビューした際、経営者から返ってきた多くの回答が「2割前後」という数字でした。言わんとしていることは、「日本とのビジネスは物凄く重要だけど、一番大きな収入は依然として本国アメリカだ」ということです。それはむしろ日本人がホッとするコメントでしょう。なぜなら本家アメリカで売れていないモノを日本で売るのは難しく、やはりアメリカで売れているからこそ日本人も欲しくなるのです。

     1961年に創業した<バードウェル>にとっても、日本とのビジネスは全体の1020%ではないでしょうか。しかしその数字にたどり着いたのは1990年代に入ってからのことで、それまではローカルブランドの時代が長く続きました。正確には1960年代のサーフィンブームでカナダから、1970年代にはメキシコからもオーダーが入るようになります。しかしそれを除けばアメリカ全土からのオーダーが大半を占め、今日のようにモノが世界中を飛び交う時代はまだ到来していなかったのです。

     しかし1980年代に入ると日本人が徐々にやってくるようになります。果たして<バードウェル>を最初に訪れた日本人は? 残念ながら当時の様子を一番知っている2代目社長のヴィヴィアン・リチャードソンさんは既に他界しており、詳細を知っている人がいません。しかし恐らく最初に<バードウェル>を発掘したのは1970年代後半にカリフォルニアのサーフカルチャーに憧れてカリフォルニアへ向かった『ポパイ』世代で、恐らく最初は小遣い稼ぎで日本へ並行輸入している日本でも<バードウェル>が徐々に知れ渡るようになったようです。そして1990年代の円高と映画『エンドレスサマー2』の大ヒットでロングボードブームが再熱すると、日本でも<バードウェル>をよく見かけるようになりました。円高のおかげでついにバーディーは日本人にとっても身近な存在になったのです。

     それでも<バードウェル>の売り上げの大半は依然としてアメリカ国内であり、日本の割合は決して多くないはずです。つまり、50年以上経ったいまなおローカルブランドの面影をしっかり残しており、逆にそれが<バードウェル>の魅力なのです。やや矛盾を感じるかもしれませんが、日本人が憧れるアメリカ製品は「少し距離を感じるもの」なのかもしれませんね。そのためにも、アメリカ国内で絶大な人気があることが重要。それこそが王道の「Made in U.S.A.」製品です。

    (次号に続く)


    茶色ストライプがはいったウエストがややローライズしているので女性用でしょう。1970年頃の製品ではないかとおもいます。





    この看板は1979年にテキサス州ヒューストンで撮影されたものです。テキサスにはサーフカルチャーは殆ど存在しませんが、それでも1970年代はサーフカルチャーが内陸部へと広がった時代でした。<ビラノ>というテキサスでビーチウェアを取り扱えるこの店ではハングテン、OP、オフショア、そしてバードウェルが販売されていたようです。





    こちらはメキシコから届いたオーダー・レターです。「僕は<バードウェル>の大ファンで、既にトランクスもTシャツも持っており、しかしパッチはまだだったのでオーダーします」と書かれています。バーディーの絵も添えられており、相当な<バードウェル>ファンだったみたいですね。



    創業当初からバードウェルではデニム製などの海から上がった時に履くトランクスも数多く作ってきました。こちらはコーデュロイのトランクスでして、水着というよりはやはり普段用のようです。1970年代1980年代製で、この時代には小さな「バーディー」ラベルが追加で突いていました。それにしても、随分太ったバーディーですね。
  • Story #6 Lifeguards love Birdie, too! ライフガードたちもバーディーが大好き。

    Posted:Sep 14 2015

    Birdwell

    ビーチトランクスの話

    by Rin Tanaka

     ビーチタウンに住む高校生や大学生たちの“憧れのアルバイトや職業”は? カリフォルニアの若者たちに聞けば、“ライフガード”という答えが数多く返ってくるはずです。サーフィン映画『Endless Summer』(1965年)で成功を収めたブルース・ブラウン監督も、かつて駆け出しの頃はライフガードをしながら映画製作をしていました。大好きな海で仕事ができること自体がまず喜びであり、しかも給料が貰えて、毎日ビキニガールに会えることを考えると……やはりこれ以上に魅力的な職業も他にないのでしょう。

     しかしそれ以上に重要なことは、アメリカにおいてライフガードの社会的地位が極めて高いことです。その後のキャリアアップとしては、やはり人気商売である“州立公園の監視員”、さらに福利厚生が良い“消防士”などに転職する際にライフガードとしての履歴は強力なポイントになります。これはアメリカ人の誰もが「ライフガードは重要な仕事だ」と考えているためで、日本とはやや考え方が違うかもしれません。

     長年、ライフガードのためにカスタムメイドのサーフトランクスを作ってきたのが<バードウェル>でした。カリフォルニアのライフガード協会は「赤いトランクス」を昔から規定カラーにしており、さらにビーチごとに作られた特製ワッペンの刺繍オーダーも入ります。いうまでもなく、公共機関で働く人たちなのでまず「クリーンなイメージ」が重要であり、それらの条件を満したサーフトランクスを作れる会社がまさに<バードウェル>だったわけです。昔から<バードウェル>のブランドカラーが赤を基本にしているのも、カリフォルニアのライフガード・カラーとリンクしているに違いありません。

     「真面目なサーフトランクスを作る会社」という社風は、創業者のキャリー・マン、そして娘で2代目社長のヴィヴィアン・リチャードソンの性格そのものが現れた結果でしょう。<バードウェル>は“お母さん社長”の会社なので、真面目でしかし家族的な温かさを売りにしてきた会社なのです。決して、アグレッシブなファッションブランドではありません。逆にいえば、いつの時代でもクラッシックなデザインをしっかりと作れることが、<バードウェル>の強みでもあり、安定感でもあります。

     <バードウェル>が大きく成功した理由は、ライフガードからの需要がカリフォルニアのビーチ沿いに留まらなかったことでしょう。既に1960年代から東海岸のビーチシティーからも<バードウェル>社へ多くのオーダーが入り始めました。なぜなら東海岸には<バードウェル>のようにクリーンで、かつクールなサーフトランクスを作れる縫製工場が結果的に存在しなかったからです。しかも東海岸からはカリフォルニアとは違ったカラーオーダーが入ったため、カスタムメイドを売りにする<バードウェル>には大きなアドバンテージがありました。「それなら<バードウェル>へメールオーダーした方が確実だ」という定評が東海岸にもすぐに届いたわけです。

     さらにサーフトランクスの需要はビーチ以外の世界にも広がりました。全米に無数に存在するプールや水族館にもライフガード的な“水商売”は無数に存在しており、そこにも<バードウェル>の顧客が存在していました。つまりビジネスの可能性は無限大——これこそが<バードウェル>が創業から50年以上経った今なおも存続している大きな理由でしょう。ニッチなビジネスのようで、広大なアメリカ全土から顧客を拾えば「グッドニッチ!」になるのが<バードウェル>なんですね。

     アメリカに行ったら、ぜひライフガードたちのトランスをじっくり観察してみましょう。意外に<バードウェル>製であるケースが多く、思わずニヤリとしてしまうはずです。(次号に続く)

     

    こちらは南カリフォルニア・ラグナビーチのライフガードがオーダーしたパッチ入りのサーフトランクです。もちろん、カリフォルニアのライフガードなので、カラーは赤です。「Made in U.S.A.」のレーベルも付いているので、1980年代製でしょう。

    こちらも南カリフォルニアのライフガード用サーフトランクスです。やはり1980年代製でしょう。


    この写真は、僕がかつて15年間住んでいたサクレメンテ市のライフガードを務めるカイル・ノーヘルムくんが<バードウェル>の工場を訪れた際に撮影された写真です。やはり色は赤で、特製パッチが付けられています。


    東海岸はマサーチューセッチ州ナンチュケット・ビーチのライフガードたちの集合写真。みんな普段鍛えあげた身体に<バードウェル>のトランクスがぴったり! これぞ、アメリカン・ライフガードの世界です!


    こちらはジェニファーさんが撮影した「バードウェルを着るライフガード」の写真です。トランクス以外にフィンや浮き輪なども赤が規定カラーのようです。Photo by Jennifer Gregory (www.jennifergregoryphotography.com)

  • Story #5: Custom Orders Forms オーダーフォームには、ビーチバムたちの情熱がたっぷり詰め込まれていた。

    Posted:Sep 08 2015

    Birdwell

    ビーチトランクスの話

    by Rin Tanaka 

     

      大きい奴らに食われないようにするためには…….。1970年、<バードウェル>はそれまでサンタアナの自宅兼工場から、ついに近所の工場へ移転しました。1965年から2代目社長に就任したヴィヴィアン・リチャードソンは会社が着実に成長していることに満足感こそあったでしょうが、しかしビジネスの世界に“安泰”など存在しないことは充分に理解していたはずです。なぜなら1960年代中期〜1970年代は“ショートボード革命”の到来によってサーフィン業界が急成長を遂げた時代で、カリフォルニア、ハワイ、そしてフロリダから続々とサーフブランドが登場していたからです。<Hang Ten>、<OP>、そして業界内で最初に「売上、一億円」を達成した<Lightning Bolt>などサーフ・ファッション・ビジネスは大いに盛り上がり始めていました。

     一方、1961年に創業した<バードウェル>は依然としてファミリービジネスのままで、大手ブランドがサーフトランクスの大量生産・販売し始めたことはかなり脅威だったはずです。それでも「サーフトランクス専門」の<バードウェル>には強みがありました。それは小さいブランドゆえに細かいカスタムオーダーが可能だったことです。そんなマニアックでニッチなビジネスにも沢山の需要があるのは、アメリカが人口の多い、しかも豊かな国だからでしょう。

     幸いにも雑誌『サーファー』の広告を見たアメリカ中のサーファーたちから“こだわり”たっぷりのオーダーがどんどん届くようになりました。どれも細かいイラスト入りばかりで、しばしばバーディーの似顔絵まで添えられているものもありました。そんな情熱的なオーダーが届くと、<バードウェル>の職人たちも気分が盛り上がったはずです。そしてアメリカ中から届いたユニークなオーダーはそのまま<バードウェル>の個性となり、ブランド力をさらにアップさせてゆくことになります。(次号に続く)

     

    新工場でスナップボタンを打ち込む男性の職人さん。<バードウェル>が工場に移転したばかりの1970年頃に撮影されたようです。


    移転した工場には資材用の大きなストックルームも設けられました。右手に見えるのは恐らくトランクスのパターン(型紙)でしょう。

     

    <バードウェル>のアーカイブ資料として保管された当時のオーダーフォームをいくつか紹介しましょう。まず1968年5月31日のオーダーは、スワッチ(布きれ)付きで細かく指示が描かれています。どうやら女性からのオーダーのようです。


    1968年7月10日のオーダーでは、#302をベースにグリーンとイエローのツートン仕様がリクエストされています。当時の$10.35は決して安くはないはずで、今日の紙幣価値に換算すると$50くらいでしょうか。

     

    こちらはジャケットとトランクスのダブルオーダーです。細かいリクエストが沢山描かれていますが、どんなカスタムオーダーでも可能なのが<バードウェル>の強みでした。

  • Story #4: Viviane Richardson and her Gang 子供たちが会社を大きくしてくれた。

    Posted:Aug 31 2015

    Birdwell

    ビーチトランクスの話

    by Rin Tanaka 

     

     自分で始めたビジネスを子供たちが受け継いでくれるなら、親としてそんなに嬉しいことはありません。1961年に創業した<バードウェル>がまさにそんなケースでした。縫製職人のキャリー・バードウェル・マン(1901-2000)さんがサーフトランクス屋を始めた頃は既に60歳。ビジネスのスタートに年齢は関係ありませんが、しかし最初は相当なエネルギーが必要なのでやはり若い時に始めた方が楽です。

     幸い、キャリーには優しい長男のボブと賢い娘のヴィビアンがいました。<バードウェル>の創立当初は「家族全員で助け合いながら、なんでもやった」典型的なファミリービジネスで、結束力こそが資本力のない<バードウェル>の唯一の強みだったのです。1989年に発行された同社のカタログを見ると、家族写真付きでユーモアをこめて「我らはバードウェル・ギャング!」と表現。キャリーが始めたサーフトランクス・ビジネスはまさにそんな感じの、どことなく温かみのある南カリフォルニアのサーフトランクス屋だったのです。 

     1965年に娘のヴィヴィアン・リチャードソン(1920-2014)が2代目社長となりました。実際には長男のボブとヴィヴィアンの共同経営者が続き、この兄妹によって<バードウェル>は世界的に知られるサーフトランクス・ブランドへと成長していきます。しかも二人が経営に携わった期間は2008年まで長く続き、<バードウェル>とはまさにヴィヴィアンとボブが時間をかけて大きく育てたブランドだったことになります。

     1965年に2代目社長になった頃のヴィヴィアンは45歳で、それまでの仕事は地元の<グレンの電気屋>で秘書を務めていました。しかし母のキャリーと同様に、ヴィヴィアンもミシンは得意だったようで、最初の頃は生産の仕事をもやっていたようです。一方、ビーチバムの兄のボブは営業担当。幸い、<バードウェル>のファミリービジネスは年々業績が伸び、ついに「自宅兼縫製工場」から抜け出し、工場を借りることになります。それが1970年頃の出来事でした。

    (次号に続く)

     
    1989年に発行された<バードウェル>のカタログより。「1971年頃のバードウェル・ギャング」という紹介文と一緒に、父アイラ(1979年に他界)を含めたバードウェル経営陣の写真が掲載されています。1970年代からボブの息子のジョン、さらにヴィビアンの娘のエヴェリン(3代目社長)もビジネスに加わり、3代に渡るファミリービジネスに発展してゆきました。

     


    彼女がキャリーの娘で2代目社長を務めたヴィヴィアン・リチャードソンです。1969年に撮影されたもので、当時の彼女は49歳で、地元の電気屋で秘書を務めていました。母親からの影響で、ミシン縫製を得意としていたようです。


     
    このナイロン製トランクスは1960年代後半のヴィンテージ品でしょう。まさにヴィヴィアンの時代に作られたものです。その当時のナイロンは随分とテカっていたのが特長です。

     
    1968年5月21日」の日付が記載されている<バードウェル>のインヴォイス。住所が自宅と同じ「1710 W. First St., Santa Ana…」となっており、この頃までガレージを改造してビジネスをやっていました。そして1970年、ついに近所の「工場」へと移転します。