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    All Dazzling Blue In California
    • Story #8 Aloha Birdie ハワイでもバーディー・ファンは多い。

      Birdwellの ビーチトランクスの話 by Rin Tanaka     夏が終わらないで欲しい…….。カリフォルニアに住んでいて良かった思うことは9月に入っても暑い日が続き、9月下旬まで夏っぽい気候が続くことです。日本は8月のお盆を過ぎると急に季節が変わってしまうので、カリフォルニアの少し長い夏は本当に貴重です。  それでも、カリフォルニアにも間もなく秋と冬が訪れます。「もっと夏を満喫したい!」——そんなことを考えるカリフォルニアのビーチボーイズたちが向かう先はご存知、ハワイです。言うまでもなく、ハワイ好きは日本人だけではありません。アメリカ本土に暮らす人たちにとっても、ハワイは憧れの場所です。僕も全米中のいろいろな町を旅しましたが、「ハワイは別格!」と断言できるほど素晴らしい島々です。   1961年にカリフォルニアでスタートした<バードウェル>にも、ハワイから多くのオーダーが多く入ってきました。特にライフガード・チームからの需要が多いようで、さらにカヌーチームなどからもニーズがあります。ハワイは人々が密接に水と暮らしている場所なので、<バードウェル>のトランクス1枚でほぼオールシーズンをカバーできるのが最高ですね。  気になるのは、地元ハワイには<バードウェル>のようなサーフトランクス・ブランドが存在しないのか、ということでしょう。実は大昔のハワイには日系&中国系オーナーが経営する縫製工場が数多く存在していました。しかし1980年代あたりからそれらの縫製工場がほぼ消滅し、ハワイでもアジア産の水着が多く見かけるようになりました。それゆえに、カリフォルニアでカスタムオーダーを受け付けてくれる<バードウェル>にオーダーしたほうが早くて確実というわけで、<バードウェル>はハワイでも結構人気の高いブランドなんです。  ハワイのライフガードは赤いユニフォームのカリフォルニアと違って、緑色を採用しているケースが多いようです。そうです、ハワイは自然豊かな場所なので、緑色はイメージ的にもバッチリ。ワイキキを歩いていると、きっと<バードウェル>の緑色のトランクスに遭遇するでしょう。ぜひチェックしてみてください。  夏が終わらないで欲しい…….年に一度必ずそんな切ない気分を体験しながら、人間は歳を取っていきます。実は一般的な平均寿命の人生だったとしても、一生のうちに僅か80回前後の夏しか体験できないのです。それってちょっと少なくありませんか?! しかしそんなことを考える暇があったら、<バードウェル>のトランクスを持って、海へ向かいましょう。海には不思議と人の気持ちをワクワクさせるパワーがあって、そこには楽しい出来事が多く待ち受けているはずです。 (来年の夏に続く)   オワフ島のラニカイビーチから送られてきた写真より。今から25年前の1989年に撮影されたそうですが、あまり古く感じないのはハワイには「変わらない夏」があるからかもしれません。地元カヌーチームのメンバーが着ているのは<バードウェル>のトランクスで、しかも色がグリーンという点がハワイのスタイルです。パームツリーの色とも同調し、ばっちり似合っていますね。 こちらは隣の写真に同封されていた『ラニカイ・カノエ・クラブ』からのお礼状。1989年当時はまだ2代目社長のヴィヴィアン(当時69歳)が現役で働いていました。彼女宛に「グリーンの<バードウェル>は他のチームとは違って、最高に目立っていた!」と書かれています。 1995年4月19日に発行された『Palm Beach Post』の記事では、地元水族館『シーワールド』のスタッフが川に迷い込んだイルカを救出している様子が報道されています。彼らがユニフォームにしているトランクスも<バードウェル>製で、鮮やかなロイヤルブルーが『シーワールド』のオフィシャルカラーのようです。    赤のチェッカー模様が入ったこのトランクスは「Made in U.S.A.」のレーベルが付いているので、1980年代製でしょう。バードウェルが得意とするのは手の込んだカスタムオーダーで、こういったポップなデザインを手がけると実に最高ですね。

    • Story #7 International Orders 海外からもバーディー・ファンが殺到した!

      Birdwellの ビーチトランクスの話 by Rin Tanaka   「日本の売り上げは、全体の2割くらいかなぁ」——かつて日本の雑誌のためにアメリカの様々なメーカーやブランドをインタビューした際、経営者から返ってきた多くの回答が「2割前後」という数字でした。言わんとしていることは、「日本とのビジネスは物凄く重要だけど、一番大きな収入は依然として本国アメリカだ」ということです。それはむしろ日本人がホッとするコメントでしょう。なぜなら本家アメリカで売れていないモノを日本で売るのは難しく、やはりアメリカで売れているからこそ日本人も欲しくなるのです。  1961年に創業した<バードウェル>にとっても、日本とのビジネスは全体の10~20%ではないでしょうか。しかしその数字にたどり着いたのは1990年代に入ってからのことで、それまではローカルブランドの時代が長く続きました。正確には1960年代のサーフィンブームでカナダから、1970年代にはメキシコからもオーダーが入るようになります。しかしそれを除けばアメリカ全土からのオーダーが大半を占め、今日のようにモノが世界中を飛び交う時代はまだ到来していなかったのです。  しかし1980年代に入ると日本人が徐々にやってくるようになります。果たして<バードウェル>を最初に訪れた日本人は? 残念ながら当時の様子を一番知っている2代目社長のヴィヴィアン・リチャードソンさんは既に他界しており、詳細を知っている人がいません。しかし恐らく最初に<バードウェル>を発掘したのは1970年代後半にカリフォルニアのサーフカルチャーに憧れてカリフォルニアへ向かった『ポパイ』世代で、恐らく最初は小遣い稼ぎで日本へ並行輸入している日本でも<バードウェル>が徐々に知れ渡るようになったようです。そして1990年代の円高と映画『エンドレスサマー2』の大ヒットでロングボードブームが再熱すると、日本でも<バードウェル>をよく見かけるようになりました。円高のおかげでついにバーディーは日本人にとっても身近な存在になったのです。  それでも<バードウェル>の売り上げの大半は依然としてアメリカ国内であり、日本の割合は決して多くないはずです。つまり、50年以上経ったいまなおローカルブランドの面影をしっかり残しており、逆にそれが<バードウェル>の魅力なのです。やや矛盾を感じるかもしれませんが、日本人が憧れるアメリカ製品は「少し距離を感じるもの」なのかもしれませんね。そのためにも、アメリカ国内で絶大な人気があることが重要。それこそが王道の「Made in U.S.A.」製品です。 (次号に続く) 茶色ストライプがはいったウエストがややローライズしているので女性用でしょう。1970年頃の製品ではないかとおもいます。 この看板は1979年にテキサス州ヒューストンで撮影されたものです。テキサスにはサーフカルチャーは殆ど存在しませんが、それでも1970年代はサーフカルチャーが内陸部へと広がった時代でした。<ビラノ>というテキサスでビーチウェアを取り扱えるこの店ではハングテン、OP、オフショア、そしてバードウェルが販売されていたようです。 こちらはメキシコから届いたオーダー・レターです。「僕は<バードウェル>の大ファンで、既にトランクスもTシャツも持っており、しかしパッチはまだだったのでオーダーします」と書かれています。バーディーの絵も添えられており、相当な<バードウェル>ファンだったみたいですね。 創業当初からバードウェルではデニム製などの海から上がった時に履くトランクスも数多く作ってきました。こちらはコーデュロイのトランクスでして、水着というよりはやはり普段用のようです。1970年代~1980年代製で、この時代には小さな「バーディー」ラベルが追加で突いていました。それにしても、随分太ったバーディーですね。

    • Story #6 Lifeguards love Birdie, too! ライフガードたちもバーディーが大好き。

      Birdwellの ビーチトランクスの話 by Rin Tanaka  ビーチタウンに住む高校生や大学生たちの“憧れのアルバイトや職業”は? カリフォルニアの若者たちに聞けば、“ライフガード”という答えが数多く返ってくるはずです。サーフィン映画『Endless Summer』(1965年)で成功を収めたブルース・ブラウン監督も、かつて駆け出しの頃はライフガードをしながら映画製作をしていました。大好きな海で仕事ができること自体がまず喜びであり、しかも給料が貰えて、毎日ビキニガールに会えることを考えると……やはりこれ以上に魅力的な職業も他にないのでしょう。  しかしそれ以上に重要なことは、アメリカにおいてライフガードの社会的地位が極めて高いことです。その後のキャリアアップとしては、やはり人気商売である“州立公園の監視員”、さらに福利厚生が良い“消防士”などに転職する際にライフガードとしての履歴は強力なポイントになります。これはアメリカ人の誰もが「ライフガードは重要な仕事だ」と考えているためで、日本とはやや考え方が違うかもしれません。  長年、ライフガードのためにカスタムメイドのサーフトランクスを作ってきたのが<バードウェル>でした。カリフォルニアのライフガード協会は「赤いトランクス」を昔から規定カラーにしており、さらにビーチごとに作られた特製ワッペンの刺繍オーダーも入ります。いうまでもなく、公共機関で働く人たちなのでまず「クリーンなイメージ」が重要であり、それらの条件を満したサーフトランクスを作れる会社がまさに<バードウェル>だったわけです。昔から<バードウェル>のブランドカラーが赤を基本にしているのも、カリフォルニアのライフガード・カラーとリンクしているに違いありません。  「真面目なサーフトランクスを作る会社」という社風は、創業者のキャリー・マン、そして娘で2代目社長のヴィヴィアン・リチャードソンの性格そのものが現れた結果でしょう。<バードウェル>は“お母さん社長”の会社なので、真面目でしかし家族的な温かさを売りにしてきた会社なのです。決して、アグレッシブなファッションブランドではありません。逆にいえば、いつの時代でもクラッシックなデザインをしっかりと作れることが、<バードウェル>の強みでもあり、安定感でもあります。  <バードウェル>が大きく成功した理由は、ライフガードからの需要がカリフォルニアのビーチ沿いに留まらなかったことでしょう。既に1960年代から東海岸のビーチシティーからも<バードウェル>社へ多くのオーダーが入り始めました。なぜなら東海岸には<バードウェル>のようにクリーンで、かつクールなサーフトランクスを作れる縫製工場が結果的に存在しなかったからです。しかも東海岸からはカリフォルニアとは違ったカラーオーダーが入ったため、カスタムメイドを売りにする<バードウェル>には大きなアドバンテージがありました。「それなら<バードウェル>へメールオーダーした方が確実だ」という定評が東海岸にもすぐに届いたわけです。  さらにサーフトランクスの需要はビーチ以外の世界にも広がりました。全米に無数に存在するプールや水族館にもライフガード的な“水商売”は無数に存在しており、そこにも<バードウェル>の顧客が存在していました。つまりビジネスの可能性は無限大——これこそが<バードウェル>が創業から50年以上経った今なおも存続している大きな理由でしょう。ニッチなビジネスのようで、広大なアメリカ全土から顧客を拾えば「グッドニッチ!」になるのが<バードウェル>なんですね。  アメリカに行ったら、ぜひライフガードたちのトランスをじっくり観察してみましょう。意外に<バードウェル>製であるケースが多く、思わずニヤリとしてしまうはずです。(次号に続く)   こちらは南カリフォルニア・ラグナビーチのライフガードがオーダーしたパッチ入りのサーフトランクです。もちろん、カリフォルニアのライフガードなので、カラーは赤です。「Made in U.S.A.」のレーベルも付いているので、1980年代製でしょう。 こちらも南カリフォルニアのライフガード用サーフトランクスです。やはり1980年代製でしょう。 この写真は、僕がかつて15年間住んでいたサクレメンテ市のライフガードを務めるカイル・ノーヘルムくんが<バードウェル>の工場を訪れた際に撮影された写真です。やはり色は赤で、特製パッチが付けられています。 東海岸はマサーチューセッチ州ナンチュケット・ビーチのライフガードたちの集合写真。みんな普段鍛えあげた身体に<バードウェル>のトランクスがぴったり! これぞ、アメリカン・ライフガードの世界です! こちらはジェニファーさんが撮影した「バードウェルを着るライフガード」の写真です。トランクス以外にフィンや浮き輪なども赤が規定カラーのようです。Photo by Jennifer Gregory (www.jennifergregoryphotography.com)

    • Story #5: Custom Orders Forms オーダーフォームには、ビーチバムたちの情熱がたっぷり詰め込まれていた。

      Birdwellの ビーチトランクスの話 by Rin Tanaka      大きい奴らに食われないようにするためには…….。1970年、<バードウェル>はそれまでサンタアナの自宅兼工場から、ついに近所の工場へ移転しました。1965年から2代目社長に就任したヴィヴィアン・リチャードソンは会社が着実に成長していることに満足感こそあったでしょうが、しかしビジネスの世界に“安泰”など存在しないことは充分に理解していたはずです。なぜなら1960年代中期〜1970年代は“ショートボード革命”の到来によってサーフィン業界が急成長を遂げた時代で、カリフォルニア、ハワイ、そしてフロリダから続々とサーフブランドが登場していたからです。<Hang Ten>、<OP>、そして業界内で最初に「売上、一億円」を達成した<Lightning Bolt>などサーフ・ファッション・ビジネスは大いに盛り上がり始めていました。  一方、1961年に創業した<バードウェル>は依然としてファミリービジネスのままで、大手ブランドがサーフトランクスの大量生産・販売し始めたことはかなり脅威だったはずです。それでも「サーフトランクス専門」の<バードウェル>には強みがありました。それは小さいブランドゆえに細かいカスタムオーダーが可能だったことです。そんなマニアックでニッチなビジネスにも沢山の需要があるのは、アメリカが人口の多い、しかも豊かな国だからでしょう。  幸いにも雑誌『サーファー』の広告を見たアメリカ中のサーファーたちから“こだわり”たっぷりのオーダーがどんどん届くようになりました。どれも細かいイラスト入りばかりで、しばしばバーディーの似顔絵まで添えられているものもありました。そんな情熱的なオーダーが届くと、<バードウェル>の職人たちも気分が盛り上がったはずです。そしてアメリカ中から届いたユニークなオーダーはそのまま<バードウェル>の個性となり、ブランド力をさらにアップさせてゆくことになります。(次号に続く)   新工場でスナップボタンを打ち込む男性の職人さん。<バードウェル>が工場に移転したばかりの1970年頃に撮影されたようです。 移転した工場には資材用の大きなストックルームも設けられました。右手に見えるのは恐らくトランクスのパターン(型紙)でしょう。   <バードウェル>のアーカイブ資料として保管された当時のオーダーフォームをいくつか紹介しましょう。まず1968年5月31日のオーダーは、スワッチ(布きれ)付きで細かく指示が描かれています。どうやら女性からのオーダーのようです。 1968年7月10日のオーダーでは、#302をベースにグリーンとイエローのツートン仕様がリクエストされています。当時の$10.35は決して安くはないはずで、今日の紙幣価値に換算すると$50くらいでしょうか。   こちらはジャケットとトランクスのダブルオーダーです。細かいリクエストが沢山描かれていますが、どんなカスタムオーダーでも可能なのが<バードウェル>の強みでした。

    • Story #4: Viviane Richardson and her Gang 子供たちが会社を大きくしてくれた。

      Birdwellの ビーチトランクスの話 by Rin Tanaka     自分で始めたビジネスを子供たちが受け継いでくれるなら、親としてそんなに嬉しいことはありません。1961年に創業した<バードウェル>がまさにそんなケースでした。縫製職人のキャリー・バードウェル・マン(1901-2000)さんがサーフトランクス屋を始めた頃は既に60歳。ビジネスのスタートに年齢は関係ありませんが、しかし最初は相当なエネルギーが必要なのでやはり若い時に始めた方が楽です。  幸い、キャリーには優しい長男のボブと賢い娘のヴィビアンがいました。<バードウェル>の創立当初は「家族全員で助け合いながら、なんでもやった」典型的なファミリービジネスで、結束力こそが資本力のない<バードウェル>の唯一の強みだったのです。1989年に発行された同社のカタログを見ると、家族写真付きでユーモアをこめて「我らはバードウェル・ギャング!」と表現。キャリーが始めたサーフトランクス・ビジネスはまさにそんな感じの、どことなく温かみのある南カリフォルニアのサーフトランクス屋だったのです。   1965年に娘のヴィヴィアン・リチャードソン(1920-2014)が2代目社長となりました。実際には長男のボブとヴィヴィアンの共同経営者が続き、この兄妹によって<バードウェル>は世界的に知られるサーフトランクス・ブランドへと成長していきます。しかも二人が経営に携わった期間は2008年まで長く続き、<バードウェル>とはまさにヴィヴィアンとボブが時間をかけて大きく育てたブランドだったことになります。  1965年に2代目社長になった頃のヴィヴィアンは45歳で、それまでの仕事は地元の<グレンの電気屋>で秘書を務めていました。しかし母のキャリーと同様に、ヴィヴィアンもミシンは得意だったようで、最初の頃は生産の仕事をもやっていたようです。一方、ビーチバムの兄のボブは営業担当。幸い、<バードウェル>のファミリービジネスは年々業績が伸び、ついに「自宅兼縫製工場」から抜け出し、工場を借りることになります。それが1970年頃の出来事でした。 (次号に続く)   1989年に発行された<バードウェル>のカタログより。「1971年頃のバードウェル・ギャング」という紹介文と一緒に、父アイラ(1979年に他界)を含めたバードウェル経営陣の写真が掲載されています。1970年代からボブの息子のジョン、さらにヴィビアンの娘のエヴェリン(3代目社長)もビジネスに加わり、3代に渡るファミリービジネスに発展してゆきました。   彼女がキャリーの娘で2代目社長を務めたヴィヴィアン・リチャードソンです。1969年に撮影されたもので、当時の彼女は49歳で、地元の電気屋で秘書を務めていました。母親からの影響で、ミシン縫製を得意としていたようです。   このナイロン製トランクスは1960年代後半のヴィンテージ品でしょう。まさにヴィヴィアンの時代に作られたものです。その当時のナイロンは随分とテカっていたのが特長です。   「1968年5月21日」の日付が記載されている<バードウェル>のインヴォイス。住所が自宅と同じ「1710 W. First St., Santa Ana…」となっており、この頃までガレージを改造してビジネスをやっていました。そして1970年、ついに近所の「工場」へと移転します。  

    • Story #3: “Birdie” by Mike Salisbury “バーディー”の誕生秘話を探ってみよう。

      by Rin Tanaka    創業1961年の小さなサーフトランクス会社<バードウェル>はなぜ50年以上も生き残り続けることができたのでしょうか? 理由は色々とあるのでしょうが、同社のマスコットキャラクターである“バーディー”の登場・存在はやはり大きかったようです。  バーディーをデザインしたのはマイク・サリスベリーさん、カリフォルニア・ベニス在住。恐らくほとんどの人が彼の名前を知らないでしょうが、経歴を調べるとこれが凄いんですよ。(http://www.mikesalisbury.net参照)あのマイケル・ジャクソンの『Off the Wall』(1977年)を筆頭に、リーバイス、ヴォルクス・ワーゲン、ホンダ、ほか大企業のアートディレクションを数多く手がけています。それらの作品を見れば、「これは知っている」というものばかりです。  バーディーはそんな巨匠アートディレクターがまだ修行中の20代に書き上げた、初期の作品でした。  <バードウェル>の英語ブログを担当するジェイミーさんが、ちょっと前にマイクさんにインタビューしています。コメントを抜粋してみましょう。 (http://birdwell.com/blogs/birdwell-blog?page=3を参照) 「あれは1964年のことだね。当時、雑誌『Surfer』で働いていて、自分の担当は広告原稿を仕上げることだったんだ。<バードウェル>はクライアントのひとつで、ある日『うちのロゴを作って欲しい』という依頼があってサンタアナの工場にミーティングへ行ったんだ。そこで思いついたのが“鳥とサーファー”を組み合わせ、黒と赤の2色で描いたバーディーだったというわけさ。加えて、<Birdwell Beach Britches>というロゴも考えた。フォントは『Surfer』の編集長のジョン・シーバーソン、そして同誌の人気漫画アーティスト、リックグリフィン、さらに個人的にベン・シャーンというアーティストに影響を受けていて、それらをミックスさせたものだね」   マイク・サリスベリーさんが思いついたマスコットキャラクターは、頭にサーフドボードのフィンの形をしたモヒカン(?!)が付いており、瞬く間にサーファーの間で知れ渡るようになりました。みんな“バーディー”を一目で大好きになったのです。ここから<バードウェル>の躍進が始まります。  その後、今日までバーディーのロゴはトランクスに使われていますが、ここからはかなりマニアックな話。  実はレーベルにプリントされたバーディーは年を重ねる頃に、少しだけ顔の表情が変化しています。注目は“目”。よ~くみると、時代ごとに目の形が少しだけ変わっています。プラス、少し太ったり、再び痩せたり。もし古い<バードウェル>のトランクスに出会ったら、ぜひチェックしていただきたい。ますます<バードウェル>が好きになってしまうはずです。     若い頃のマイク・サリスベリーさん(左)と当時描いたイラスト(右)。    このナイロン製トランクスは1960年代後半頃のものですしょう。初期のバーディーは目にクマが入ったかのような太い三角。加えて、当時はサイズ表示のみがついていました。   バーディーの表情が変わったのは1980年代に入ってからでしょうか。目が痩せて細くなり、口元がスマイリーになります。こちらのトランクスはキャンバス製で、「Made in U.S.A.」のラベルも付いています。    こちらも1980年製のナイロン製トランクスですが、少し太り、目が細くなります。 1989年の『バードウェル・カタログ』より。同社が雑誌『Surfer』に初めて広告を打った1962年12月の頃は、まだロゴが登場していなかったようです。

    • Story #2: Nylon Trunks ナイロンでビーチトランクスを作るには、 ちょっとしたアイデアが必要だった。

      Birdwellの ビーチトランクスの話 by Rin Tanaka 1961年にキャリー・マンが<バードウェル>社を創業すると、同社のカスタムメイド・トランクスは徐々に「口伝え」で評判になっていきました。しかし当時はまだインターネットのような便利なメディアが存在しなかったため、地元からのオーダーが圧倒的に多かったようです。  それでも、<バードウェル>には創業当初からローカルビジネスを越えてゆく不思議なブランドパワーが宿っていました。そして1963年に雑誌『Surfer』へ広告を打つと、西海岸のみならず、アメリカ全土からオーダーが入るようになります。これにはキャリー自身がまず驚きました。  1960年に絵描き兼映像作家のジョン・シーバーソンがスタートした自費出版雑誌『Surfer』は、1961年から年4回の定期発行となります。そして瞬く間に全米中のビーチボーイズたちに愛読される人気雑誌になりました。1950年代後半に始まったサーフブームは1960年代に入ると“サーフィン産業”として巨大化し始め、大きなカルチャーパワーを全世界に発信してゆくようになります。その過程でサーファーとビジネスをうまく繋いだ同誌の影響力は絶大だったわけです。  <バードウェル>にとって予想以上に反響が大きかったのが東海岸でした。サーフィンの歴史は大昔にハワイで始まり、戦後にカリフォルニアで大きく開花しました。しかし東海岸にも熱狂的なサーファーが沢山いたのです。そして彼らも「カリフォル二ア・スタイル」に憧れていました。  中でも東海岸でいち早く<バードウェル>を取り扱い出したのが、1964年にオープンした<ジュノ・サーフ・ショップ>(フロリダ州ジュノ・ビーチ)でした。しかも<バードウェル>に送られてきた最初のオーダー表には他社が作ったナイロン製トランクスが添えられており、「これと似たようなものを、バードウェルのパターンで作って欲しい」と書かれていました。それは彼らが地元で結成したばかりのサーフクラブ用だったそうです。  幸いにも、<ジュノ・サーフ>は現在もフロリダ州でビジネスを続けており、しかも創立者のトム・バターウォースさんは2015年の今日現在も元気に働いていました。 「店を始めたのはもう50年前の1964年のことで、自分はまだ18歳だったんだよ!当時は地元にサーフションプがなくて、そもそも東海岸にはサーフィンビジネス自体が殆ど存在していなかった。そこで店の商品の大半はカリフォルニアから仕入れていたんだ。サーフボードは<デゥイー・ウェバー>、<ホビー>、ちょっと後になると<ディック・ブリューワー>に<マイク・ヒンソン>だったりね。サーフトランクスはやはり<ホビー>、そして<ケイティン>や<ハンテン>、もちろん<バードウェル>はオープン当初から取り扱っていた。たぶん雑誌『Surfer』の広告で<バードウェル>を知ったんだと思うよ。当時、他社製品の値段が$6ぐらいだったに対し、<バードウェル>はカスタムオーダーで$9.95と少し高かった。しかし色も豊富に選べて、それはよく売れたよ!  最初は電話をするとオーナーのキャリーが出てきて、次に娘のヴィヴィアンが長く担当するようになった。さらに孫のエヴェリンへ変わったのが20年くらい前だったかな。つまり私はバードウェル家の3世代を全員知っているんだ! しかし今現在生き残っているのが自分だけというのは、なんとも寂しいね。え、大昔のトランクスをまだ保存しているかって? たぶんクローゼットの中にあるんじゃないかなぁ。フロリダを訪れる機会があったら、是非店に立ち寄ってくれたまえ!」  実は1964 年当時、トム・バターウォース青年から送られてきたサンプルを眺めながら、キャリーは悩みました。なぜなら創立当初の<バードウェル>はまだキャンバス製トランクスしか作っていなかったのです。1960年代初頭は「サーフトランクスといえば、キャンバス製が当たり前だった」ようです。  ナイロンの歴史を調べると、インターネット上で「1935年に米デュポン社が開発に成功した」と記述されています。その後は改良が進み、ついに1960年代初頭になると一般衣料品として世の中に普及しています。まさに<バードウェル>が創業した1961年頃は、ナイロン素材がサーフトランクスに使用され始めた最初のタイミングだったわけです。 「しかし、送られてきたナイロンでは水が入ると体にくっついてしまうわ……」  そこでキャリーが考えたアイデアが、裏表に2つのナイロン生地を組み合わせることでした。これによってトランクスが水を含んでも体に張り付かなくなり、大きな問題が解決したのです。あとは彼らのリクエスト通りに、同社が創立当初から使う「301」というパターンで縫製すれば完成です。  以降、「ナイロン製の301」が<バードウェル>の定番品となり、ビジネスが成長してゆくことになります。そして<ジュノ・サーフ>との取引も年々大きくなりました。さらに50年後の今日までお互いのビジネスが続いていることが何よりも驚きです。恐らくトム・バターウォースさんにとっての<バードウェル>とは、カリフォルニアからグッドバイブとビジネスを運んでくれる「幸せの鳥」だったに違いありません。それこそがきめ細かいカスタムメイドを続ける老舗<バードウェル>の独特な魅力ではないでしょうか。 (次号に続く)   雑誌『Surfer』1964年11月号の表紙を飾ったのは、良い波に乗るビキニガールでした! その奥で相乗りする若者がまさに典型的なカリフォルニア出身のサーファーで、当時は「ナイロン製のサーフトランクス一枚に、上は裸」が基本でした。当時はまだ(ちゃんとした)ウェットスーツがなかったため、冬は15分も海に入ると限界だったようです。   同誌の1964年に11号に掲載された<バードウェル>社の広告より。”Army Duck Canvas Surfers”とはキャンバス(その昔アメリカではキャンバスのことを“Duck”と呼んだ)製のサーフトランクスで、創立当社はそれが定番品した。そして”Spinnaker Nylon Surfers”は1964年頃に発売したばかりの新製品でした。  ...

    • Story #1: Carrie Edith Birdwell Mann ピンチはチャンス?!

      Birdwellの ビーチトランクスの話 by Rin Tanaka  1961年、カリフォルニア州サンタアナに住むキャリー・マンは途方に暮れていました。彼女は長年ニューポートビーチにあるアパレル工場で縫製職人として働いてきましたが、事故で怪我をし、休職から復帰した時には仕事を失っていたのです。解雇された理由は「リタイアする年齢だから」——確かに彼女は60歳になったばかりで、しかしまだ働ける体力も自信もありました。  困ったわ……。そこでキャリーが思いついたアイデアは、自宅でサーフトランクスを作ることでした。工場で働いていた頃に、水着の縫製や作り方を学んだようです。当時のアメリカでは丁度「第一次サーフィンブーム」が始まったばかりで、ハリウッドでは『ギジット』をはじめ、ビーチをテーマにしたサーフィン映画が続々と公開されていました。その影響で全米中の若い男女が「憧れのカリフォルニア」へ向かい、ビーチにたどり着いた若者たちがまず必要としたのがサーフトランクスだったのです。既にサーフトランクスを販売する水着ブランドは多少ありましたが、サーフィン業界自体がまだ始まったばかり。キャリーにもビジネスチャンスがあったのです。  キャリーは当時サンタアナのダウンタウンにあった自宅ガレージにミシンを置き、カスタムオーダーのサーフトランクス屋をスタートしました。ブランド名は息子のボブが考えてくれました。母親の旧姓である「Birdwell」と、父親アイラの子供の頃からのニックネームである「Britches」(米語のスラングで「半ズボン」の意味)を組み合わせ、<Birdwell Beach Britches>。すぐにトレードマークの申請もしました。   縫製職人としてキャリアを積んできたキャリーにとって、サーフトランクスを作ること自体は「朝飯前」だったはずです。しかし問題はその前に客を探してくる必要があったことです。オーダーがなければビジネスは成立しません。そこで再び大活躍したのが、息子のボブでした。どうやら当時の彼はニューポートビーチ界隈で顔なじみのサーファーだったようで、自ら営業し、知り合いを通じてなんと100着以上のオーダーを取ってきたそうです。これには母親のキャリーも驚き、そして大喜びし、早速知り合いの縫製職人に応援を頼んで忙しい日々が始まりました。  キャリーがサーフトランクスを作り始めた1961年頃はまだ撥水性の良いナイロンが普及しておらず、他のブランドと同様にコットン製のキャンバス地で作られていました。そんなローテクなビーチトランクスからスタートし、<バードウェル>社は徐々に大きくなっていきます。(次号に続く) 南カリフォルニア・サンタアナにあった自宅を改造して<バードウェル>をスタートしたキャリー(左)と、影で彼女の起業を支えた旦那のアイラ(右)。ブランドのキャラクターイメージである「バーディー」の看板が既に描かれているので、1960年代中期頃に撮影されたようです。ファミリービジネスからスタートした<バードウェル>社は緩やかに事業を拡大し、1972年にはついに自社工場を持つようになります。 この大人しそうな女性が<バードウェル>の創業者、キャリー・バードウェル・マンさんです。彼女は長年アパレル工場で働くベテランの縫製職人で、創業当初は彼女の手でビーチトランクスが一枚一枚丁寧に縫い上げられていました。この写真は彼女が亡くなる前の1980年代に撮影。   こちらはキャリーのお母さん、エマ・バードウェルさんが地元の新聞に特集された、相当大昔の記事です。「98歳を迎えた彼女はテネシー州出身で、10人兄弟の6番目。1901年に旦那とオクラホマへ移住し、現在の彼女には4人の子供、5人の孫、14人のひ孫、さらに2人のひひ孫までいる」と書かれています。大昔の話とはいえ、「2人のひひ孫」とは凄いですね! こちらのコットン製トランクスは<バードウェル>が創業して間もない1961~1962年頃に作られた、同社に現存する最も古いヴィンテージ品になります。オレンジと黒のツートン、という色使いが当時としてはかなり斬新だったようです。フロントに3つのホールがついたこのデザインが<基本形>となり、その後細かい改良が加えられて行きます。 現在までに解っている創業者キャリー・バードウェル・マンさんの家系図。1961年創業間もなく娘のヴィヴィアンが経営に参加するようになり、その後は孫のエヴァリンとロイに<バードウェル>社は受け継がれていきます。          

    • Story #0: Surf’s Up! (今年も夏がやってきた!)

      Birdwellの ビーチトランクスの話 by Rin Tanaka  夏が近づくと、なぜかソワソワしてしまうのは僕だけだろうか。もう40代も半ばに入ったのに、夏の到来が未だに待ちきれない。子供の頃に川や山で遊んだ記憶が蘇り、さらに大人になってサーフィンを始めると友達と一緒にサーフトリップへ繰り出したことを思い返す……。不思議と、似たような高揚感は他の季節にはない。いくら歳を重ねても、「夏は特別!」なままだ。  夏が他の季節に比べて短いことは、人々をソワソワ、ワクワクさせてしまう大きな原因だろう。特に日本の夏は短く、海開きが7月に始まり、しかし8月中旬のお盆が過ぎると海水浴場から急に人が減り始める。つまり日本の夏はわずか1ヶ月強しかないので、急いで楽しまないとあっという間に秋になってしまうのだ。しかも夏は年に1度しかないため、仮に長生きしても……人生で80回くらいしか夏を楽しむことができない計算になる。それは夏好きにとって決して充分な数ではなく、考えれば考えるほど虚しくなってしまう。だからこそ、今年の夏も思いっきり満喫しないともったいない。  夏の楽しみ方は色々あるが、やっぱり最高なのは海へ出かけることだろう。向かう途中から既に興奮しっぱなしで、潮の香りが漂いだすとついに脳みそからアドレナリンが吹き出す。 ヤッホー! ビキニ姿の女性も沢山いるぞ!  興奮のあまり、絶対に忘れてはいけないのが海水パンツだ。お店に行くと色々なビーチトランクスが販売されているが、興味深いことは1960年代からサーフトランスなるものが南カリフォルニアから登場し、今ではそれが世界中で「標準デザイン」になっていることだろう。なぜ、カリフォルニア発のトランクスが世界標準になったのか? 田中凛太郎が2015年夏限定でお届けするこのブログでは、1961年に創業した老舗ブランド<Birdwell>の歴史を辿りながら、カリフォルニア産ビーチトランクスの魅力を探っていこう。   1969年9月、南カリフォルニア・ニューポートビーチにて。真ん中にお父さんぽい人がいるので、家族の集合写真かもしれない。(だとしたら、凄い大家族だ!)全員が<バードウェル>のサーフトランクスを着用し、カメラにお尻を向けている。注目すべきはそれぞれが色違いのトランクスを履いていることで、ヒッピーブームがピークに達した1969年頃にはパステルカラーを含めた様々なカラーチョイスが既に用意されていた。   ここに紹介するチェッカーフラッグ模様のトランクスは、1970年代のヴィンテージ品。<バードウェル>製トランクスの基本モデルとなる「301」という品番で、これぞカリフォルニア産サーフトランクスの代名詞的なモデルだ。現在はこのモデルに改良を加えた「310」がニュースタンダードになっている。

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