Story #7 International Orders 海外からもバーディー・ファンが殺到した!

Birdwell

ビーチトランクスの話

by Rin Tanaka 

 「日本の売り上げは、全体の2割くらいかなぁ」——かつて日本の雑誌のためにアメリカの様々なメーカーやブランドをインタビューした際、経営者から返ってきた多くの回答が「2割前後」という数字でした。言わんとしていることは、「日本とのビジネスは物凄く重要だけど、一番大きな収入は依然として本国アメリカだ」ということです。それはむしろ日本人がホッとするコメントでしょう。なぜなら本家アメリカで売れていないモノを日本で売るのは難しく、やはりアメリカで売れているからこそ日本人も欲しくなるのです。

 1961年に創業した<バードウェル>にとっても、日本とのビジネスは全体の1020%ではないでしょうか。しかしその数字にたどり着いたのは1990年代に入ってからのことで、それまではローカルブランドの時代が長く続きました。正確には1960年代のサーフィンブームでカナダから、1970年代にはメキシコからもオーダーが入るようになります。しかしそれを除けばアメリカ全土からのオーダーが大半を占め、今日のようにモノが世界中を飛び交う時代はまだ到来していなかったのです。

 しかし1980年代に入ると日本人が徐々にやってくるようになります。果たして<バードウェル>を最初に訪れた日本人は? 残念ながら当時の様子を一番知っている2代目社長のヴィヴィアン・リチャードソンさんは既に他界しており、詳細を知っている人がいません。しかし恐らく最初に<バードウェル>を発掘したのは1970年代後半にカリフォルニアのサーフカルチャーに憧れてカリフォルニアへ向かった『ポパイ』世代で、恐らく最初は小遣い稼ぎで日本へ並行輸入している日本でも<バードウェル>が徐々に知れ渡るようになったようです。そして1990年代の円高と映画『エンドレスサマー2』の大ヒットでロングボードブームが再熱すると、日本でも<バードウェル>をよく見かけるようになりました。円高のおかげでついにバーディーは日本人にとっても身近な存在になったのです。

 それでも<バードウェル>の売り上げの大半は依然としてアメリカ国内であり、日本の割合は決して多くないはずです。つまり、50年以上経ったいまなおローカルブランドの面影をしっかり残しており、逆にそれが<バードウェル>の魅力なのです。やや矛盾を感じるかもしれませんが、日本人が憧れるアメリカ製品は「少し距離を感じるもの」なのかもしれませんね。そのためにも、アメリカ国内で絶大な人気があることが重要。それこそが王道の「Made in U.S.A.」製品です。

(次号に続く)


茶色ストライプがはいったウエストがややローライズしているので女性用でしょう。1970年頃の製品ではないかとおもいます。





この看板は1979年にテキサス州ヒューストンで撮影されたものです。テキサスにはサーフカルチャーは殆ど存在しませんが、それでも1970年代はサーフカルチャーが内陸部へと広がった時代でした。<ビラノ>というテキサスでビーチウェアを取り扱えるこの店ではハングテン、OP、オフショア、そしてバードウェルが販売されていたようです。





こちらはメキシコから届いたオーダー・レターです。「僕は<バードウェル>の大ファンで、既にトランクスもTシャツも持っており、しかしパッチはまだだったのでオーダーします」と書かれています。バーディーの絵も添えられており、相当な<バードウェル>ファンだったみたいですね。



創業当初からバードウェルではデニム製などの海から上がった時に履くトランクスも数多く作ってきました。こちらはコーデュロイのトランクスでして、水着というよりはやはり普段用のようです。1970年代1980年代製で、この時代には小さな「バーディー」ラベルが追加で突いていました。それにしても、随分太ったバーディーですね。

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