Story #1: Carrie Edith Birdwell Mann ピンチはチャンス?!

Birdwell

ビーチトランクスの話

by Rin Tanaka

 1961年、カリフォルニア州サンタアナに住むキャリー・マンは途方に暮れていました。彼女は長年ニューポートビーチにあるアパレル工場で縫製職人として働いてきましたが、事故で怪我をし、休職から復帰した時には仕事を失っていたのです。解雇された理由は「リタイアする年齢だから」——確かに彼女は60歳になったばかりで、しかしまだ働ける体力も自信もありました。

 困ったわ……。そこでキャリーが思いついたアイデアは、自宅でサーフトランクスを作ることでした。工場で働いていた頃に、水着の縫製や作り方を学んだようです。当時のアメリカでは丁度「第一次サーフィンブーム」が始まったばかりで、ハリウッドでは『ギジット』をはじめ、ビーチをテーマにしたサーフィン映画が続々と公開されていました。その影響で全米中の若い男女が「憧れのカリフォルニア」へ向かい、ビーチにたどり着いた若者たちがまず必要としたのがサーフトランクスだったのです。既にサーフトランクスを販売する水着ブランドは多少ありましたが、サーフィン業界自体がまだ始まったばかり。キャリーにもビジネスチャンスがあったのです。

 キャリーは当時サンタアナのダウンタウンにあった自宅ガレージにミシンを置き、カスタムオーダーのサーフトランクス屋をスタートしました。ブランド名は息子のボブが考えてくれました。母親の旧姓である「Birdwell」と、父親アイラの子供の頃からのニックネームである「Britches」(米語のスラングで「半ズボン」の意味)を組み合わせ、<Birdwell Beach Britches>。すぐにトレードマークの申請もしました。 

 縫製職人としてキャリアを積んできたキャリーにとって、サーフトランクスを作ること自体は「朝飯前」だったはずです。しかし問題はその前に客を探してくる必要があったことです。オーダーがなければビジネスは成立しません。そこで再び大活躍したのが、息子のボブでした。どうやら当時の彼はニューポートビーチ界隈で顔なじみのサーファーだったようで、自ら営業し、知り合いを通じてなんと100着以上のオーダーを取ってきたそうです。これには母親のキャリーも驚き、そして大喜びし、早速知り合いの縫製職人に応援を頼んで忙しい日々が始まりました。

 キャリーがサーフトランクスを作り始めた1961年頃はまだ撥水性の良いナイロンが普及しておらず、他のブランドと同様にコットン製のキャンバス地で作られていました。そんなローテクなビーチトランクスからスタートし、<バードウェル>社は徐々に大きくなっていきます。(次号に続く)

南カリフォルニア・サンタアナにあった自宅を改造して<バードウェル>をスタートしたキャリー(左)と、影で彼女の起業を支えた旦那のアイラ(右)。ブランドのキャラクターイメージである「バーディー」の看板が既に描かれているので、1960年代中期頃に撮影されたようです。ファミリービジネスからスタートした<バードウェル>社は緩やかに事業を拡大し、1972年にはついに自社工場を持つようになります。

この大人しそうな女性が<バードウェル>の創業者、キャリー・バードウェル・マンさんです。彼女は長年アパレル工場で働くベテランの縫製職人で、創業当初は彼女の手でビーチトランクスが一枚一枚丁寧に縫い上げられていました。この写真は彼女が亡くなる前の1980年代に撮影。

 

こちらはキャリーのお母さん、エマ・バードウェルさんが地元の新聞に特集された、相当大昔の記事です。「98歳を迎えた彼女はテネシー州出身で、10人兄弟の6番目。1901年に旦那とオクラホマへ移住し、現在の彼女には4人の子供、5人の孫、14人のひ孫、さらに2人のひひ孫までいる」と書かれています。大昔の話とはいえ、「2人のひひ孫」とは凄いですね!

こちらのコットン製トランクスは<バードウェル>が創業して間もない19611962年頃に作られた、同社に現存する最も古いヴィンテージ品になります。オレンジと黒のツートン、という色使いが当時としてはかなり斬新だったようです。フロントに3つのホールがついたこのデザインが<基本形>となり、その後細かい改良が加えられて行きます。

現在までに解っている創業者キャリー・バードウェル・マンさんの家系図。1961年創業間もなく娘のヴィヴィアンが経営に参加するようになり、その後は孫のエヴァリンとロイに<バードウェル>社は受け継がれていきます。

 

 

 

 

 




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